明日から雪だということなので、今日の午前中は買い出しです。
昨日、日経テレ東大学のYouTube動画を見ました。自民党の細田豪志さんの回なのですが、話の中で年金の受け取り辞退制度があることを初めて知りました。
年金をもらわなくても生活が出来るくらいの資産があるのであれば、そういった制度を使うのもいいかもしれないなぁ。ただ、やはりその見返りとして何かしらの望みをかなえてもらうっていう話はいいかもしれない。天皇陛下に謁見できる権利とか、待ち時間を時間を短縮できるフリーパス券とか。お金では手に入らないものだものね。
で、普段はあまりコメント欄を見ないのだけど、この回の動画は終始和やかな感じだったので、あまり批判的な意見はないだろうなあと思い、ちょっと読んでしまいました。
そこで年金の受け取り辞退について、西郷隆盛の「子に美田遺さず」という話があって、ふとその言葉が気になってしまったのです。私のイメージでは西郷さんはどちらかというと一族の為よりも、西郷さんなりの正義というか、志の為に動いていたというのがあったので、そんな人が子孫への戒めのような言葉は残さないと思ったのです。
で、いろいろ調べてみたら、私と同じような考え方を持っている人もいるようで。
そうだよなぁ・・・私利私欲に走るのではなく、志の為にすべてのものを犠牲にする覚悟を持てっていう自分への戒めならしっくりきそうです。
上の記事で、今度は葉隠で有名な一節「武士道と云うは、死ぬ事と見つけたり」の話も触れています。死に場所を探すがごとく玉砕を肯定するかのように思われがちですが、実は生きるための言葉であると記事には書いていました。
葉隠は、実はまだ読んだことが無くて、五輪の書と同じくいつかは読んでみたい本の一つだったりします。
で、読んだことが無いものですから、実際はどうなんだろうと興味を持ち、調べてみたら、こんな感じです。
こちらのブログが分かりやすく解説していたので、載せておきます。
「武士道とは死ぬこと」なんて言ってない!?「葉隠」の伝えたかった心とは | サムライスタイル
死と生は表裏一体で、切り離すことは出来ません。なので死を思うことで生を精いっぱい頑張ろうと思うことなのかななんて考えたりします。
ここでふと、アニメNARUTOで、ナルトの師匠である自来也の最後のワンシーンを思い出してしまいました。
忍は生き様ではなく死に様の世界。
忍の世界はどうやって生きてきたかではなく、
死ぬまでに何をしたかでその価値が決まる。
生きている間に周りから称賛されるよりも、死ぬまで精一杯行動できる様になりたいですね。
それでは。