ヘタレのやなさん

坂井市三国町で農業をして気ままに生きている記録です

だいぶ元気になりました

少し元気になってきました。

やはり気分転換に買い物に行って良かったです。

 

買い物中、水の件はあまり考えないようにしていましたが、ふと、問題解決方法を考えてしまったら、おいら実は悪くないやん、相手の責任やんって思えるようになってきました。

 

で、何故その考え方になるのかというと以下の通りです。

まず問題解決の目指すべき姿を決めます。目指すべき姿は問題が発生する前の状況にすることと仮定すると、私が水を使用しているときに隣が無断で水を止めない状況にするということ。

 

これにはハード的解決とソフト的解決の2つがあります。ハード的解決は、私が水を使っている間も隣が水を使えるような設備にするということ。ソフト的解決は、どちらかが水を使用している場合は、あとから水を使用する人が使っている人に一言声をかけること。

 

ソフト的解決はおそらく無理でしょう。何せ声を掛けられる状況でありながら、どうどうと水を止めた神経を持っていますから。これをちゃんとしてくださいねって言っても出来ないと考えます。なので、これは除外します。(しかしまぁ、おいらが理性がある人で良かったね。無ければおそらく手持ちの刃物で刺していたところだよ。笑)

 

で、残るはハード的解決になるのですが、これをするには隣が同時に使用できる仕組みを考える必要があったりします。実はすでに同時に使用できる仕組みは出来ていて、あとは方法を隣が理解すれば問題は解決するのですが、まぁ、無理でしょうね。😅

というのも、もともとパイプラインの設置工事の時に隣の畑と共有する給水口は2股にしていたという経緯があります。二股の形状と一か所のバルブ。これだけあればあとはどうすれば2か所同時に使えるのかをちょっと考えたら最初から分かるようになっていて、今の今までそれをやっていないということは、これから先も出来ないと考えます。

おいらは昨年に解決方法が分かったので、個人的には対策していますが、相手はおいらが悪いと考えているはずなので、一生かかっても対策方法は見つからず、問題解決は出来ません。

 

で、何故、問題解決が出来ないかというと、おいらが悪いという前提があるからです。もうここで話は詰んでしまっているのです。おいらが悪いとするならば、どう悪いのかという点を洗い出せば解決方法が出てきますが、おそらく、自分が水を使う時に相手が水を使うから悪いというところに行きついてしまいます。なので、おいらが悪いという前提に立つのであれば、おいらが水を使わないようにすることが解決方法となりますし、それって隣が勝手に水の独占をしていることと同じになるのでおかしくなります。

そういうところで、おいらが悪いというより、問題解決をしようとしていない相手の責任であると考えるわけです。相手が悪いわけではないのです。問題を解決しない責任は時間が経てばたつほど、ものすごい大きな塊になります。あとで気が付いても、おそらくどうしようもなくなるでしょう。その時、私はおそらくこう言います。「今更遅いって。」

 

で、話を元に戻しますが、実際のところ、おいらが水を使わないようにすることはかなり難しいです。お金もかかりますし。

ただ、極力使わないようにすることは可能なので、私としては極力使わない方向に改善をしていきます。

 

しかし極力使わないといっても、全く使わないわけではないので、使っているときに相手が使いたい場合はどうしようもありません。なので、もう一つの問題点、相手の行動で自分の心にダメージを受けるというところを回避する必要があります。

 

一番有効なのは、水を止められた時のバックアップを作ること。少しお金はかかりますが、自分の心にダメージを受けないようになるのではないかと考えています。心のダメージさえ回避できれば、あとはシラを切ることが出来ますものね。

 

それと最も重要なことは大根の生産を辞めることになりますよね。うちとしては生産を続けたいですが、水を自分の意志では使えないときがあることを考慮すれば、生産は難しいですし。

しかたがない、しかたがない。

 

それでは。