ヘタレのやなさん

坂井市三国町で農業をして気ままに生きている記録です

他人の幸せが願えるのか

他人の幸せが願えるのかという問題。

 

今の世の中、他人の幸せが願える人なんて、あまりいないと思います。今回の大雪に関するSNS上の投稿を見ていたら、前回の大雪の時と同様、ここが除雪できていないとか、轍が酷くて車で走ることが出来ないとか・・・。まぁ、情報としてありなのですが、文章のところどころに「何とかしてください」とか「ちゃんとやっているの?」とか、不満や不平が余計な一言として書かれているのですよね。個人のブログに書く分には別に何とも思わない(どうぞお好きにやってくださいって感じなので。)のですが、SNS上に有益な情報と抱き合わせで不平不満が書き並べられていると、宮台さんがよくいう寛容な社会ではないことがはっきりとわかったりします。

 

他人に求めることが大きくなりすぎているのではないかとも感じます。私も他人に対して求めることが多い感じがあるので、自重しなければなぁと思いますが、そういった気付きや自分を振り返るきっかけを与えてくれるのって、結局は宗教のような気がしますね。

 

私はいちおうなんちゃってキリスト教徒みたいです。なんちゃってと書いているのは、社会人になってから教会へは行っていませんし、宗教的な行事にも参加していません。ただ、心がざわつくというか、落ち着かせるために聖書を読んだり、昔、聖歌隊として歌ったことのある賛美歌を口ずさんだりするのです。(讃美歌の一曲ではないのですが、母校の校歌【英語版】がお気に入りで、たまに口ずさむことがあります。一度、母校が甲子園に出場したときに、勝てば初めて甲子園で英語の校歌が流れるかもって話題になりましたが、初戦敗退となり実現はしませんでした。)

 

ノブレス・オブリージュの考え方も、まぁ、あれはヨーロッパの貴族社会で生まれた日本の武士道に近い考え方なのですが、宗教に影響されている部分も大きいのかなって思ったりします。

 

東日本大震災で、救援物資を求める人たちが一列になって並んでいる姿を海外で称賛されたという話があるのですが、実際は配給するときに「何であの家から配るんだ?」とか、順番でもめたという事例が多かったと聞いています。

 

阪神淡路大震災では災害ユートピアが生まれ、強力な助け合いが起こったらしいです。週刊誌の記事で神戸の山口組が被災した住人に対して備蓄していた物資を分け与えた話も有名ですね。

 

阪神淡路大震災東日本大震災に何故違いが出来たか。やはり時間が経過したことで何らかの要因があって人の心から寛容さというものを失ってきたのではないかと感じたりします。もし仮に、阪神淡路大震災がもう一度起きたら・・・以前のような災害ユートピアが出来るかどうかっていうのは分からないって感じですね。

 

福井ではどうなのか。今の時代は、助け合いが起きるような地域は数少なくなっているので、福井も災害ユートピアは起きないだろうし、災害が起きなくても他人の幸せを願うことが出来ないだろうなぁと感じたりします。

 

それでは。