ヘタレのやなさん

坂井市三国町で農業をして気ままに生きている記録です

努力しない人は淘汰されて当然という考え方

最近、YouTubeをよく見ています。

たまたまファミマの「お母さん食堂」問題の話があって、話を聞いているうちにリベラル的な考え方にもいろいろ問題があるのではなんて感じました。

 

予告的な放送で、ひろゆきさんが「努力しない人は淘汰されて当然だよねって、切り捨てる考え方が増えているよね。」って話していたのが印象に残ってて、あ~そういえば「就農出来なかったら仕方なく就業するという考え方が不愉快」っていう考え方もそれに近い感じがするなって。

 

就農出来なかったのは本人の準備不足(努力不足)であって、ゼロの状態(準備をしていない状態)で就農を目指すのは、農地や水の無駄遣いっていう発想。まぁ、準備不足って言われたら身も蓋もないのだけど、今、本人の努力だけでは就農出来ないケースって少しずつ増えている感じで、努力不足、準備不足と言って切捨ててもいいのかなぁ?と思ったりする。

 

自己資金の問題にしても、農業を始めたいと考えた時にお金が無かったとした場合、お金って事前に準備できるものだから準備できなければ努力不足っていう発想も出来なくはないのだけど、例えばの話、お金はあまりないけど年齢的に早く農業をしなければ体力的に不安といった場合、時間的制約があるのであれば、お金のかからない方法で早めに就農をするという選択肢を見つけるべきで、それを準備不足って言われると、それってあまりにも状況を把握しないで切捨てているのでは?と感じてしまう。

 

もちろん準備をしたほうがいい。でも本人の努力だけでは無理なケースがあることを知ってほしい。

 

例で使って悪いけど、先日のセントピアであった後輩が就農を諦めたのはハウスのリース契約の問題で、契約を交わすためには連帯保証人を立てる必要があって、それを本人に伝えたのが契約を交わす1週間前だということ。彼は大阪の人で、1週間で連帯保証人なってくれる人は見つからないので何とかならないかと契約を交わすJAと担当の福井県に相談したが、ダメだったということ。これの問題点は、本人の努力不足が問題だろうか?よく考えてほしい。
真の問題点は。連帯保証人が必要であることを就農を目指す段階で伝えていなかったこと。契約を交わすギリギリの段階で伝えたこと。

 

切捨てるのは簡単だ。問題に対して真摯に向き合うという姿勢が無ければ、間違った結論を導いてしまう。そう思った。

 

それでは。